丸めた紙幣

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大学一年のたった一年だけ、ユースホステル研究会という軟弱なクラブに所属していた。部員みんなでの活動と言えば、年に一度、山手線の回りを酒を飲みながら十時間かけて歩くぐらいで、あとはそれぞれが勝手気ままに泊まり歩いたユースホステルの宿泊スタンプを見せ合うような軟弱コンニャククラブだった。ボクもまぎれもないコンニャク部員で、北海道から九州までたくさんのユースホステルを回り、スタンプの数を競っていた。

長野県にあるユースホステルに泊まった翌朝のことだ。ボクは支払いに丸まった千円札を出した。前夜のキャンプファイアーでギターを弾いてみんなを盛り上げてくれた若主人は、カウンターの上の丸まった紙幣を悲しそうな目で見た。そしてその目をボクに向けた。

「こういうお金の扱い方をしていたら、お金に嫌われるよ。もう君のところに戻ってきてくれないよ。キチンとしなさい」

ボクは恥ずかしさに耐えて、戻された千円札のシワを伸ばした。すると若主人は霧吹きを持ってきてシュッシュッと霧を吹きかけると、その上からアイロンをかけた。

「な、こうやってみると価値があがったような気がするだろ。お金に有難うって言いたくならないかい」

本当にその通りだと思った。この時からたとえ一枚の紙幣でも、支払いの時にはキチンと伸ばしてから使うようになった。それより紙幣を畳んで財布に入れるようなことをしなくなった。ボクはこの若主人に会えたことを心から感謝している。でも、せっかくこんな素敵な大人に会っていながら、そういう大人になれていない自分が情けない。 

 

蓑虫の恐怖

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学生の頃、ボクたちはいつも四人で旅をした。四人ならいつでも麻雀ができるというのも大きな理由だ。ほとんど宿の予約もしないような旅だった。

石川県金沢で、交通事故に遭った共通の友人を見舞った後、ボクたちは夜の十時過ぎに奈良駅に着くという無茶をした。もちろん宿は取っていない。だいだい奈良に行くのも金沢の駅で決めたことだ。宿はどこもいっぱいか、遅すぎるかで断られ、ボクたちは仕方なく奈良駅構内のベンチで寝ることにした。その待合室は明るすぎて、ボクたちはシュラフのジッパーを頭の上までしっかり閉めて眠った。長旅の疲れは長椅子の固さを感じさせず、ボクたちは引きずり込まれるように眠ってしまった。

真夜中、言い争う声で意識が戻った。シュラフをしっかり閉めているので、目をあけても何も見えない。人が殴られる音がして、二、三人の怒声が響いた。「連れて行け」という声。嫌がる男が車に乗せられて、そして遠ざかる車の音。いったいなにがあったんだろう。ボクは心臓が高鳴るのをジッとこらえていた。あの男の人はきっと殺されるんだ。警察に連絡しよう。・・・でも行ってしまってよかった。かかわりあったら大変だ。・・・とその時。

「手間かけやがって。あとで思い切りヤキを入れてやれ」と突然耳元で声がした。まだいたんだ。それもすぐ近くに。「おい、見ろよ。コイツら」図太い声だ。こいつが兄貴分だろう。そして沈黙。その時の怖かったことといったら。最悪のことを考え、汗だくになって、固くなって耐えた。長い長い沈黙。こういう無防備な状態は危険だ。ナイフで刺されても抵抗できない。でも金縛りにあったように動けない。そのうちに男たちがボクたち蓑虫のまわりを歩き出した。たぶん三人だった。

「どれにする」「これにしましょう」
滑るようなジッパーの開く音、と同時に「ギャーッ」と友人の悲鳴。刺されたと思ったが動けない。次は自分がやられる。早く逃げなくちゃ。でも全然動けない。このまま死ぬのは嫌だ。すると「なんだ、男じゃねえか」と図太い声。「情けねえ声出すんじゃねえよ」と下っ端の声。ゲラゲラという笑い声が遠ざかり、蓑虫たちはゴソゴソと這い出して来た。「大丈夫か」「オマエら、寝たフリしてたな」「違うよ。夢かと思っていたから」「もう戻って来ないかな」「朝まで起きていようか」

みんながみんな、後ろめたいような恥ずかしいような思いで夜を明かした。あれ以来、この話をしたものはいない。

 

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