移動販売

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「タケヤーサオダケー、4メートルのサオダケが2本で千円」
家の前を竿竹を二十本ほど乗せた小型トラックがゆっくりと走っている。昔ながらの決まり文句だが、若い女性の声だ。あわてて窓から顔を出してみると運転席にオジさんがいるだけだ。なんだ、テープが回っているのか。

子供の頃にはずいぶん移動販売があった。納豆、豆腐、シジミ、金魚、風鈴、お好み焼、今川焼、石焼イモなどを、自転車や屋台で売り歩く商人がたくさんいたものだ。ボクはラッパの音がすると、よく豆腐と油揚げを買いに行かされた。ドカーンと大砲のような音がすると、米一合を持って外に飛び出し、ポン煎餅(バクダンと呼んでいた)を作ってもらったのも移動販売だ。

商店街でもないボクの家のまわりや路地裏にまでチンドン屋が入ってきて宣伝していたのも懐かしい。飛行機からもたくさんのチラシが落ちて来て、走り回って拾ったものだ。風景はすっかり変わってしまった。

シジミ売りのオバアちゃんは足を悪くして、晩年は駅前にゴザを敷いてシジミやアサリを売っていた。手も顔も深いシワに覆われていたが、優しい目のオバアちゃんだった。お好み焼のオバさんはいつもオマケしてくれた。夏休みにプールに行くと、必ず屋台が出ていて、ソースをタップリつけたお好み焼を新聞紙にくるんでくれた。青のりがたくさん入っていたっけ。今川焼のオバちゃんは、ウチの祖母と友達だった。ボクが前を通ると必ずひとつくれた。「もう年だから今日でやめるよ」と言われて今川焼を十個もらったのを、祖母と泣きながら食べた。そう言えば、当時の移動販売に男の人はほとんどいなかった。

ボクの家は山のうえの不便な所にあるので買い物が面倒だ。車に乗らないとキャベツひとつ買えない。だから移動販売はとても助かる。でも、竿竹以外には冬に灯油を売りにくるぐらいで、ちょっと寂しい。それもみんなオジさんばかりだ。 

 

ローラースケート

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ボクが小さい頃、我が家を含めて近所は木造のあばら屋ばかりだった。我が家の外壁にはネコが隠れていても不思議はないほど大きな穴があちこちに開いていて、その中ではボクが詰め込んだ食べカスや漫画本が雨を吸って膨らんでいた。だからといって乞食のような生活をしていた訳ではない。金持ちではなかったけれど貧乏というほどでもなく、日なたにいるような幸せな日々だった。ボクはこの外壁の穴の中に、ローラースケートを隠していた。

豊かではなかったけれど、一人っ子のボクが親類からもらうお年玉はそこそこの金額だったろう。両親が「お年玉というのは親にくれているので子供が遣ってはいけない」と難しい理屈を言うので、ボクはお年玉はいつも袋ごと親に渡していた。ボクがもらった金額に応じて両親も相手の子供にお年玉をあげていたので、やはりお年玉というのは親同士の間の儀式のようなものかもしれない。しかし予想に反して、ボクの十五年間のお年玉は貯金通帳となって二十歳の誕生日に親から渡された。両親がネコババしていると思っていたのでちょっと感動した。

そんな十五年間の間に、一度だけ内緒でお年玉を遣ったことがある。当時ブームだったローラースケートを買ったのだ。叔母はどういう訳か「親に言うんじゃないよ」と言ってそのお年玉をくれた。それまで自分で買った最高金額の、それも内緒のローラースケートは、ボクには荷が重い秘密となった。壁の穴に隠したまま家の中に入れてもらえないローラースケートに申し訳なく思ったりした。そして、とうとう親父に見つけられ、コテンパンに怒られた。

最近その叔母が亡くなった。その顔を見ていたら、このローラースケートのことが思い出されて泣けた。それまでスッカリ忘れていたことだったのに。

 

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