初めてのバイト

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かつて新聞配達は子供のバイトの定番だったが、今もそうだろうか?
たくさんの職種があるとは言え、当時小学生にできるバイトはそう多くはなかった。クラスのD君の家はA新聞の集配所をしていて、2、3人のバイトを使っていた。そのS君から生まれて初めてのバイトを勧められたのはボクが小学4年生の夏休みだった。

朝刊は配達数が多いのでボクは夕刊担当になった。自転車もなかったので、まだ身体のできていないボクに新聞の重さは厳しかった。雨上がりの水たまりに新聞の束を落とし、泥だらけの新聞を泣きながら配っていたら、S君のお父さんが「よくがんばってるな。でも泥だらけの新聞は配れないぞ」と新しい新聞の束をよこした。ボクが配った泥新聞をきれいな新聞と取り替えながらボクを追いかけてきたのだった。叱られなかったこと。褒められたこと、今、とても複雑な気持ちで思い出す。

夏休みずっとバイトをして、生まれて初めてのバイト料をもらう9月1日は、2学期の始まる憂鬱な日だ。ボクは1時限目から気づいていた。S君が欠席していた。ボクは背中がザワついた。そして放課後、担任の先生がS君が転校したことをみんなに告げた。嘘だ。昨日の夕方もいっしょだったのに。

学校が終わるとボクは飛ぶようにS君の家に向かった。集配所のガラス戸は固く閉ざされていた。ボクはその前にしゃがみこんで泣き続けた。こんな裏切りは初めてだった。バイト料もくやしかったが、あんなに仲が良かったS君に騙されたショックのほうが大きかった。

最近、かつてS君が住んでいた家の前を通ることがあって、あの時を思い出した。ボクのバイト料をゴマかすために転校するはずがないし、S君のお父さんは優しかった。きっとS君もS君のお父さんもボクよりくやしかったんだろうな、とこの年になってようやく気づいた。 

 

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中学一年の時、親友のH君に一羽のハトをもらった。モザイク模様の美しいハトだった。H君にはジュウシマツのつがいをもらって増やしたこともあった。でも彼の家に遊びに行って大きな鳩小屋を見たら、もうジュウシマツなんか子供だましに思えてしまった。そして頼み込んで、一羽わけてもらったのだ。

母親は怒ってそのハトを返してこいと言った。ボクがH君から無理矢理押し付けられたようなウソをついたからだ。申し訳ないことに、彼はボクの母親にさんざん嫌味を言われたが、ボクが頼んだことなど一言も言わずに黙って下を向いていた。そのうち怒り疲れた母親が「仕方ないわね」と折れて、ボクはようやくそのハトを飼うこととなった。

「ひと月ぐらいたったら放してごらん。上空をグルッと回って戻ってくるよ」H君にそう言われて、ボクはひと月待った。長い長いひと月だった。その日曜日の朝、ふとボクの心に疑念が湧いた。このハトは戻ってこないかもしれない……。

ボクはハトの足に長いヒモを結んだ。そしてヒモの端をギュッと握ったまま、ハトを放した。ハトは上昇して隣の家の屋根を超えそうになった。しかし途中でヒモに足を引っ張られて急降下してきた。ボクは慌ててヒモを放した。体勢を立て直したハトはちらりとボクを見た。哀れむような優しい目だった。そして十メートルのヒモをつけたままハトは飛び去った。戻って来なかった。

2、3日たって、ヒモでグルグル巻きになった血だらけのハトがH君の家の鳩小屋に戻った。ボクは自分がとても悪い人間に思えて泣いた。ハトを信じられなかった自分を恥じた。H君はその時も、今も一度もこの話をしない。ハトが彼の家に戻ったのは当たり前だ。

あの時、ちらりとボクを見たハトの目が菩薩のようで、今でも忘れられない。

 

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