コーヒーブレイク|セイノーロジックス株式会社

【第32話】カメの島

作成者: セイノーロジックス株式会社|2025.08.29

~ セイノーロジックス創業社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~

バリ島はいくつかある最後の楽園のひとつらしい。まだ子供のいなかったボクたちは、結婚一周年の紙婚式旅行にバリ島を選んだ。

砂浜に面したホテルは荘重な趣きで、月夜に浮かび上がるヤシの影は、それはとてもロマンティックだった。中庭にある寺院風のステージではガメランの気だるいリズムにのって、妖しいエロティズムを漂わせる踊り子がバリダンスを披露している。ボクたちはヤシの林を抜けて砂浜に出た。四阿風の建物が点在し、金髪のカップルがいちゃつく中を、ボクたちは南十字星を探していた。するとそこに無粋なインドネシア人が現れた。

「明日の朝、ボートでカメの島に行かないか。三十分で着くよ。とても奇麗な島で、お土産も売っているよ。とっても奇麗な島だよ。6時ね。6時にここで待ってるよ」

海の美しさは朝日のせいばかりではなかった。年齢不詳のオジサンが漕ぐカヌーに揺られて島につくまでずっとボクたちは海の底を見ていた。様々な色彩の魚の群れは竜宮城へ誘うかのようだった。

カメの島に着くと三十人ぐらいの少年たちが集まってきて、妻の髪にたくさんの花をさしてくれた。「ようこそ、ようこそ」と日本語で挨拶し、さかんに握手をしたがる。そのうちに二十人ぐらいがいなくなり、残りの十人ぐらいがボクたちの手を取り、島を案内してくれた。とても小さな島で、小学校らしき小さな土壁の建物と寺院があるだけで、あとは島の名前の由来と思われるウミガメが5匹ぐらいいる、入り江のような池があった。寺院で賽銭を取られたのを除けば、まあこんなものだろう。ただ、少年たちのほかに誰も大人がいないのが不思議だった。

ボクたちを案内してくれた少年たちのリーダーは十二、三歳の背の高い少年で、あとはみな十歳ぐらいのニコニコと可愛らしい少年少女だった。島の見学は三十分ほどで終わり、ボクたちはカヌーの置いてある船着き場へ行こうとした。するとリーダーの少年が「お土産。こっち。こっち」と手招きし、ほかの子供たちが手を引き、腰を押してボクたちをちいさな校庭のような広場に連れて行った。

それは奇妙な場所だった。広場には三十ぐらいの掘立て小屋が並んでいて、ボクたちはそのひとつに押し込められた。それはリーダーの店のようだった。彼はたったひとつしかないショーケースから貝殻のガラクタを出して、どれかひとつ買えと言った。どれも商品とは言えないヒドイものばかりなので「悪いけどいらない」とボクが言うと、リーダーの顔は老人のようにしたたかに歪み「ふざけちゃ困るぜ。みんなで島を案内したじゃないか。ひとつの店からひとつずつ買ってもらわないと困る。ここでひとつだけってのもダメだ。それじゃあ不公平になる」

するとまるで合図が交わされたように「不公平、フコウヘイ、不公平、フコウヘイ」とみんな日本語で合唱しはじめた。追いつめられた恐怖。完全に彼らの台本の中に組み込まれている。そしてこの危機を救ったのは妻の大きな泣き声だった。あまりの泣き声に子供たちは驚いて囲いを解き、ボクたちはそのスキに走って逃げた。子供たちは追って来た。追いつかれてズボンをつかまれた。妻がカヌーに飛び乗ると年齢不詳のオジサンが顔を上げて何か言った。たぶん「もうそのくらいで勘弁してやんな。後でボート代分けてやるから」と言ったに違いない。

カヌーがカメの島の岸から離れると、十人ほどの少年たちの顔に天使の笑みが浮かんだ。「サヨナラ、サヨナラ」と奔放に手を振っている。あとの二十人ほどはどこにいるのか影も見えない。これは遊戯だったのか。