2023.02.28

【第5話】丸めた紙幣

~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~


大学一年のたった一年だけ、ユースホステル研究会という軟弱なクラブに所属していた。部員みんなでの活動と言えば、年に一度、山手線の回りを酒を飲みながら十時間かけて歩くぐらいで、あとはそれぞれが勝手気ままに泊まり歩いたユースホステルの宿泊スタンプを見せ合うような軟弱コンニャククラブだった。ボクもまぎれもないコンニャク部員で、北海道から九州までたくさんのユースホステルを回り、スタンプの数を競っていた。

長野県にあるユースホステルに泊まった翌朝のことだ。ボクは支払いに丸まった千円札を出した。前夜のキャンプファイアーでギターを弾いてみんなを盛り上げてくれた若主人は、カウンターの上の丸まった紙幣を悲しそうな目で見た。そしてその目をボクに向けた。

「こういうお金の扱い方をしていたら、お金に嫌われるよ。もう君のところに戻ってきてくれないよ。キチンとしなさい」

ボクは恥ずかしさに耐えて、戻された千円札のシワを伸ばした。すると若主人は霧吹きを持ってきてシュッシュッと霧を吹きかけると、その上からアイロンをかけた。

「な、こうやってみると価値があがったような気がするだろ。お金に有難うって言いたくならないかい」

本当にその通りだと思った。この時からたとえ一枚の紙幣でも、支払いの時にはキチンと伸ばしてから使うようになった。それより紙幣を畳んで財布に入れるようなことをしなくなった。ボクはこの若主人に会えたことを心から感謝している。でも、せっかくこんな素敵な大人に会っていながら、そういう大人になれていない自分が情けない。