~ セイノーロジックス創業社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~
机にむかって今日一日を振り返ると、一度も土の上を歩いていない。昨日も一昨日も、やはり歩いた記憶がない。通勤でも仕事でも、ほとんど土を踏むことがない。
都会では、いったいどれほどの地面がコンクリートに覆われているのだろう。土が窒息して苦しんでいる気がする。蝉はどこから這い出してくるのだろう。何年も土の中で幼虫として暮らし、たった一週間の自由のために地表にむかった蝉が、コンクリートの壁にぶつかった絶望はどれほどのものだろう。いつの日かコンクリートをはがしてみたら、その裏側には恨みに満ちた孵化直前の蝉の屍骸がびっしりとついている気がする。
土の中には思いの外おおきな世界があるのかもしれない。芝生に寝転んでいたら、土の中から地底人の話し声が聞こえた、なんて話はたまらない。
夜になると土の中からジージーと鳴き声がする。子供の頃、これは地虫が鳴いているのだと教えられた。図鑑を調べても地虫なんて出ていない。この不思議な生き物はオケラだと言われてナルホドと思ったが、後にミミズだと聞いてさらに納得した。土の中では異性とめぐりあうことが難しいので、ミミズは雌雄同体だと小学校で習った記憶がある。その時に暗い狭い穴の中を這うミミズがとても可哀想で、自分はなんて幸せなんだろうと思った。そうか、だからミミズはあんなに悲しそうにジージーと鳴くのか。
ネコの額ほどの我が家の庭で、父に教えられたふたつの遊びがある。どちらも似たような遊びで、ひとつはジグモ釣りだ。庭石にくっついたジグモの袋をつまんで、ゆっくりと臍下丹田に力を入れて引き上げる。手の力で抜こうとすると途中でちょん切れてしまう。腹の力で引き上げる。すると地中から十センチほどの長い袋が出て来て、その先に蜘蛛が入っている。この遊びは昔からいろいろな地方で行われたらしく、ジクモにはたくさんの異名がある。アナグモ。フクログモ。ハラキリグモ。ツチグモ。ズボズボ。カンペイ。ネヌケ、などなど。
もうひとつの遊びはアリクイ釣りだ。これはハンミョウの幼虫だ。ハンミョウはボクの知る限り、タマムシと美しさを争う甲虫のビーナスだ。しかし幼虫はウジムシと変わりない。地面にポツポツと傘の先であけたような穴があり、アリクイの顔が見える。アリが巣と間違えて入ってきたところをパクリと食べてしまう。絹糸の先に気絶させたアリを結わえ付けて、アリクイの穴に入れる。するとアリクイの顔が登ってきてグイッとアリを穴に引きずり込む。この感覚は釣りにソックリだ。糸をあげるとその先に白いアリクイがぶら下がっている。別に食べるわけでもなく、そのまま捨ててしまうのだが結構はまってしまう面白さだ。
今も昔も、土の中というのは海の中と同じように、ボクにはとても神秘的な世界だ。

